発見された怪死体 昭和34年3月24日午後3時ごろ岩手郡滝沢村平蔵沢の空家でまぐさの上にうつ伏せになって死んでいる女の変死体が発見された。死因に不審がもたれるところから、盛岡署は他殺と断定し、捜査を開始した。
死体が発見された空家は四方が畑に囲まれた165平方メートルの
一軒家、南方50メートルに大森宇吉さん宅、東方約100メートルに大森子子松宅があり、裏側は沢をへだて小高い山林になっている。空家は盛岡市八幡町100の小向忠蔵さんの所有で、死体発見者の堰合和吉さんが管理を頼まれ、空家の一部を借りてまぐさ置場に使っていた。
死体は9.9平方メートルのまぐさ置場の奥にうつぶせになり、北側に頭を向け両手をくの字に曲げて倒れていた。着衣はこげ茶の模様編の
セーター、メリヤスシャツ、メリヤスのズボン下をはいており、左わき下に濃紺のズボンがくしゃくしゃになっていた。顔は人相が判別できないほど黒く焼けただれ、両手、モモにもやけどがあり、ことに手の指が炭化するほどひどく焼けただれていた。
死体のそばにあったズボンは下半分がボロボロに焼き切れ、劇薬のようなもので焼いたと推測された。素足だが、付近にははき物が見当たらず、別な場所から運んだものと推定された。特に不審が持たれたのは
パンツの中と肌着の中にまぐさが一つかみほど入っており、ズボン下は全く焼けた形跡がないのにモモやカカト付近にヤケドがあるなど、不自然な点が多かった。
盛岡署は25日、20人の刑事を動員して部落21戸をはじめ村内をしらみつぶしに洗ったが、行方不明の若い女性はなく、また人相着衣に似た女を目撃した村民も現れなかった。同署は、県下各警察者に紹介し、最近の家出人を調査したが該当者はなかった。
不自然な火傷の跡 死体発見現場の綿密な検証によると、現場で殺害された形跡はなく、足の甲に引きずられたような跡が残っていること、ハダシのままであり、付近にははき物がないのことから、他から運んできたものと推定された。さらにまぐさ置場の1メートル四方の窓枠に何か物でこすった跡があり、新しい泥も付着していたことから、女性を窓から押し込んだとの見方も出た。
最も怪奇な事件と思われる点は、顔面がアゴの一部をのぞきヤケドを負っているのに頭髪がそっくり残っており、セーターも焼けた形跡がなく、モモ、スネなどがヤケドしているのにズボン下が焼けておらず、死後着せたものと思われることだ。
被害者の身長は152センチ、顔に多くの
ソバカスがあり、右耳下のアゴに大豆位のホクロがあるのが特徴。年齢は骨の固さなどからみて30歳前後と見られた。
一方、死因はヤケドは致命傷とは考えられず、心臓内の血液が鮮紅色で流動性を帯びているため、一酸化炭素を吸いこみ酸素を吸収できなくなって窒息死したものと思われるが断定できないという結論に達した。死亡した時間は23日夜から24日未明までの間と推定された。入歯、ムシ歯がなく血液はO型。以上のようなことが解剖から判った。
またマユ毛は焼けたのではなくカミソリでそってあり、水商売の女という見方も強まった。両側の裏の黒いよごれは土や泥ではなく、汚れた板の間などを歩いて付着したものと推定された。
衣類焼却跡を発見 同部落農業大森米吉さんが同月28日午前11時45分ごろ死体が発見された現場の空地から西北約600メートル離れた開墾畑に刈払いに出かけ、畑の北東のすみにタキ火した跡があるのを発見した。不審に思い灰の中をかき回したところ衣類の焼残りがあったので盛岡署に届け出た。
盛岡署員が急行して調べたところ、女のトッパーコートと思われるエリの一部と、タキ火の付近に風で飛ばされた2、3の布切れをみつけた。生地は薄ラシャのアヅキ色の水玉模様でほかにエンジ色のソックスの一部とハダ色のネッカチーフの一部もあった。灰の中からは長さ10センチぐらいのガマ口の口金が発見され、100円札が焼けた灰もあった。
さらに付近を捜したところ、焼跡から6、7メートル離れたとこトウモロコシのカラの下から黒ビニール製の女物サンダルを発見。灰は数日前に焼いたばかりの新しいもので、付近は林と原野ばかりで家がなく、地理を知っている者の仕業と推定される。サンダルはかなりはき古した品で、そう遠いところからサンダルを履いてきたとは思われない。
たき火の状況からみて女を殺した犯人が衣類や所持品など証拠となる品を周到に焼いたことがうかがえる。サンダルも焦げた形跡があり、捜査本部ではいったん焼こうとしたが火がつかなかったためあきらめてトウモロコシのカラの下に押しこんだと見られた。
たき火の場所は、死体の発見現場から約1.5キロ離れた鬼越部落に通じる山道のそばで、同開拓地の方から下がってくると、平蔵沢部落の最初の家が死体のあった空地であり、空家に入るまでだれにも見られない地形である。
このためこれまで考えられていた事件の中心人物が平蔵沢部落内にいるとの見方から鬼越、花平、沼森の各開拓地という線も出ている。いずれにしても着衣の一部や、サンダルなどが発見されたことにより、身元割り出しは容易になると見られ、盛岡署は懸命の聞き込み捜査を続けた。
それから5日経った4月3日、付近の山を捜索していた盛岡署員は、たき火跡から20メートル離れた林の中で、焼残りのナイロン製パイル織りの女物のエンジ色ソックスと
スカーフの布片、スラックスの布片などを発見した。さらに綿密に調べたところ、木の根元に焼けちぢれた髪の毛も落ちてあり、死体を一時置いた形跡もあった。たき火跡からその場所まで点々と焼布がこぼれており、死体を運んだことも明かだった。
謎が謎を生む 曲がりくねった部落の道、一見普通の農家と見える空家、地理を知らない者が来るはずもない場所。焼け残りの服装の切れ端などから、被害者はショートヘア、銀色模様のサンダル、薄茶のトッパー、エンジのソックス、ハダ色ネッカチーフと想定されるが、村ではザラに見られるスタイルではなく、だれかが目撃したはずだと捜査当局は確信している。
それにしても行方不明の女であれば1週間以上も過ぎたのでそろそろ身元がわかるはず。あの女ではないかという者についてすでに100人以上調べたが、いずれも所在が確認されている。
体重45キロの被害者を遠くから運んだものとは考えられず、当時車のワダチもなかった。
犯行をくらますために、証拠となる着衣や所持品を焼いたものとみられるが、それにつけても死体を山林に捨てず、空家に捨てたのはなぜか。部落内に事件の何かを知っている者がいるに違いないと判断して、盛岡署員が毎日聞き込みしたが、部落民はあまり協力的ではなかった。
当初は平蔵沢部落の者か村内の者で、簡単に事件は解決するだろうとみられたが、3日たち一週間たっても身元が判らず、難事件の様相を呈してきた。事件現場は道路がこみいっており、空家は普通のカヤぶきの農家で、知らない人は空家とわからないほど。知らない者が行けるところではなく、地理に詳しい者が関係しているに違いないと捜査当局はにらんだ。ヤケドは何によるものか、死因は何か、どこで殺したのだろう、スラックスがボロボロになったのは?など、謎は謎を生んだ。
身元不明のまま時効成立 盛岡署は事件の解決は身元を割ることが先決だとして、スラックス、シャツ、トッパーコートの焼残り布、スカーフの切れ端、サンダルの出所などを追及したが、セーターもサンダルも2、3年前売られた品で製造元までわかったが、どの店でいつ誰に売ったか数量が多くて手掛りにならなかった。滝沢村、盛岡市を洗っても、身元の手掛りになる情報がなく、県警本部はさらに範囲を広げ、手配書15万枚を印刷して県下および全国に配布した。
この間4月中旬、盛岡市上田のバー女給が似ているというので、色めきたったが、偽名で
宇都宮に生活していることがわかり、捜査は振り出しに。盛岡署には似ているという情報が続々と寄せられたが、いずれも人相、着衣、特徴が異なり、次々とはずれていった。
人相着衣をさらに正確に調べるため、死体を発掘して再調査したり、電気で殺害された可能性もあるため、岩手大学工学部鎌田助教授が死体を検分したり、事件は県民注目の的になったが、苦心の手配書も効果はなかった。また岩手医大細井講師は、ヤケドは生きているうちに高温度の火で焼かれたもので、死因はそのあと凍死したものだと見解を明らかにし、腸内にはコンブと麦飯があったこともわかった。
県警鑑識課は被害者の指紋をとり、前科者および行政指紋と照合したが、合致するものがなく、死体の顔写真を修正してモンタージュ
写真も作製、3万枚を印刷して県下に配った。こうしてあらゆる手段方法で身元割出し捜査が続けられたが、ついに被害者の身元はわからず、数々の謎を残し、昭和49年3月24日午前零時ついに時効が成立した。
死因は凍死。18〜20歳の女性 死体の身元は警視庁を通じての家出人捜索でも判明せず、寄せられた603件、502人の情報からも割り出せなかった。38年には被害者の頭がい骨から当時としては科学捜査の先端をゆくスーパーポーズ復顔像を作り、ポスター42.000枚を全国に配布。さらに48年8月には5000枚のポスターを新たに作成、配布したが、被害者の身元発見には至らなかった。
一方、39年11月やっと死体解剖鑑定書が出たが、それによると▽18〜20歳の女性▽死亡時は空腹▽薬物検出なし▽致命的外傷なし▽ヤケドは炎による▽農婦などの重労働者ではないーなどがわかり、死因は凍死だった。ということは、殺人事件というよりも、女性が何らかの事故に巻き込まれ、瀕死の状態のまま放置されたという可能性も出てきた。死体発見現場のまぐさ小屋に死体を隠し、後で別の場所に運ぶ計画だったのかもしれない。
この事件の疑問は、やけどそのものが不自然な焼け方であること。当時、現場付近は泥んこ状態で死体は運ばれた可能性が強いこと、しかも同地区には地理的にわかっていなければ入ることができないこと、この女性の目撃者が全くないことーなど、ミステリーじみた点が多い。
この事件に投入された捜査員は21.000人。被害者の霊は13回忌の47年、現場となった平蔵沢の共同墓地に墓が建立され、そこに眠っている。戒名は「幽心妙香大姉」。
人気blogランキングへこの身元不明の女性について情報をお持ちの方はご連絡ください。