県内陸部、仙北平野の北端に位置し、奥羽山脈に連なる小高い山に三方を囲まれており、東は和賀岳を望んで岩手県と境を接し、桧木内川が町中央部を北から南に流れる。「みちのくの小京都」と呼ばれる閑静な城下町である。
明治22(1889)年、町村制の施行より角館町・雲沢村・白岩村・中川村が誕生していたが、昭和30年に合併して新・角館町となった。
角館の歴史はこの地で覇を競った豪族たちの盛衰とともにあった。南北朝後半には菅氏と名乗る豪族が所領としていたが、室町に入って戸沢氏の支配に代わり、小松山といわれた地に角館城を構えて一帯を領した。
戸沢光盛は天正18(1590)年、秀吉の奥州仕置で「出羽国仙北之内北浦郡」の大名として安堵された。その後を継いだ政盛は慶長7(1602)年、全国を制覇した徳川家康よって常陸へ転封させられた。これに代わって入部したのが佐竹義宣である。
慶長8(1603)年、義宣の弟・芦名義勝が1万5千石を与えられて治めるところとなったが、元和6(1620)年、徳川幕府の一国一城令によって城が破却され、城下を移転。新たに町割をすることになった。これが現在の町並みである。承応2(1653)年、幼かった当主・千鶴丸が急逝し、後継ぎがなくなったために角館芦名氏は51年で断絶した。その後は佐竹北家の預り地として明治維新を迎える。
息づく武家屋敷街
町の北側、内町には武家屋敷が立ち並び、南の外町は町人町である。武家屋敷街は昭和51(1976)年、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。閑静で美しい町並みは、春の枝垂れ桜(国指定天然記念物)・夏の青葉・秋の紅葉・冬の雪景色とともに多くの観光客を魅了し続けている。桧木内川堤の桜並木も春にはソメイヨシノが咲き誇る国指定名勝地である。
足を向けてみたいのは郊外の抱返り渓谷と古城山城跡だ。抱返り渓谷は白岩岳の山麓を抉って八幡平から発する流れる玉川が流れる。夏の深緑と秋の紅葉が見事な変化を見せてくれる野趣あふれる渓谷である。
町の北部にある古城山城跡は戸沢氏が築き、その後芦名氏が居城としていた角館城があった所。その山頂からは町が一望に見渡せる。
映画ロケを招致
元来、横手盆地北部の行政・商業の中心地として栄えてきただけに、現在も近隣の町村を商圏として取り込み、商業・サービス業の集積が進んでいる。暮らしのなかに伝統が息づいている角館ならではの風物に定期市がある。藩政時代から続いているもので観光客も立ち寄る。
主産業は「あきたこまち」が主力の米づくりだが、町の面積の7割が山林であることから林業も盛んだ。このほか市場の動向をにらんだ畜産、野菜、園芸、果樹などの複合化が進んでいる。地場で取れた野菜・花などを地元が積極的に先行して消費する地産地消も活発に行われていて、地元生産を支える基礎の一つとなって広がりを見せている。
歴史と自然がマッチした景観が観光の目玉であるが、映画「たそがれ清兵衛」(山田洋次監督)のロケがきっかけになって、ロケを呼び込むことによって地域の活性化に結びつけるフィルムコミッション(FC)設立の気運が盛り上がった。これを受けて平成14年、住民参加による「かくのだてフィルムコミッション」が結成されて招致活動に入っている。
武士の内職から始まり、明治になってから専業化した樺(桜皮)細工は特産で茶筒、筆箱、お盆などは民工芸品として観光客に人気がある。樺細工伝承館は文化、歴史資料、制作実演を体験できる広域観光の拠点。古い和風建築様式で落ち着いた佇まいを見せる。白岩焼は藩御用達だった窯で、今では美術品まで幅広く焼かれている。
伝統と近代文化を生かす
平福記念美術館は日本画家で町出身の平福穂庵・百穂父子、平賀源内が才能を見つけたという、わが国洋画の先駆となった秋田蘭画の祖・小田野直武など郷土作家の作品を展示。新潮社記念文学館は同社を創業した佐藤義亮を顕彰して平成12年に開館、日本近代文学の流れを紹介している。
「角館のお祭り」は毎年9月7日〜9日に開かれる。雅な飾山(おやま)囃子と手踊り、山車同士がぶつかり合う勇壮な「やまぶっつけ」からなる。静・動が対照的な祭りで平成3年、国指定重要無形民俗文化財に指定された。
今年9月、田沢湖町、西木村と合併し、仙北市として新たなスタートを切った。引き続き地域の中核都市としての役割を果たすことが期待される。
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