朝鮮戦争勃発の社会的混乱のなか
昭和25(1950)年6月25日早朝、北緯38度線をはさんで対峙していた朝鮮人民軍(北)と韓国軍(南)が数カ所で武力衝突し、朝鮮人民軍は敗走する韓国軍を追って南進を開始。3年にわたり朝鮮半島のほぼ全域を戦火に包んだ朝鮮戦争の火ぶたが切って落とされたのである。
朝鮮人民軍の圧倒的な優勢のうちに、開戦3日後の6月28日、韓国の首都ソウルが陥落。9月初めには国連、韓国の連合軍が大邱、釜山を含む半島南端の狭い一角に追い詰めらてしまった。太平洋戦争での敗戦からわずかに5年、隣国での戦火の拡大に日本国内は騒然となり、国民の不安を駆り立てた。
そんな明日をも知れない社会情勢のもと、未成年多数を含む集団による連続婦女暴行事件が盛岡で発生し、市民を恐怖に陥れた。事件は全国に類を見ない凶悪なもので、被害件数は25年7月から10月までの間に警察に届け出があったものだけで23件にも達し、若い女性が夜一人では歩けない状態が続いた。
犯行の現場となったのは、岩手公園、明治橋際の浮島公園、北上川や中津川の河川敷など市中心部から河南、仙北地区に集中し、夜間デート中の男女や夏まつり帰りの若い女性などが次から次へと襲われた。戦後の混乱に加えての朝鮮戦争勃発という混沌とした時代背景があったとはいえ、常軌を逸した若者たちが夜のまちを支配する異常事態だった。警察に届け出のあった事件の被害者は16歳の少女から既婚の20代の女性まであわせて26人。世間体を気にして告訴をためらった被害者も多かったと見られる。自らの快楽と欲望のために、女性に生涯消えることのない深い心の傷を負わせたこの事件は、決して許されるものではない。
デート中の女性らを集団でレイプ
犯行グループ摘発は、同年10月3日夜、岩手公園を青年Aさんと散策中のK子さん(21)が二人組の男に脅迫され暴行されそうになった事件が発端となった。この時、Aさんの通報で駆けつけた警察官が、市内の男性M(19)、同K(18)を逮捕。二人は、仙北町の浮島公園での婦女暴行事件の加害者と人相、着衣が似ていることから、被害者の女性に確認してもらったところ、犯人であることが判明。これが端緒となり20歳前後の若者あわせて49人がかかわった数々の集団暴行事件が次々と明らかになり、容疑者が相次いで逮捕された。
浮島公園の事件とは、市内仙北二丁目にある虚空蔵堂の夏まつりが行われた7月12日夜、まつり帰りに同公園を散歩中のM子さん(20)と連れの青年Bさんが徒党を組んだ男性12人のグループに襲われ、M子さんが半死半生になるほどの暴行を受けるとともに、Bさんも袋だたきにされたというもの。当時、浮島公園は明治橋の少し上流南側の北上川河川敷にあり、市民の憩いの場、デートスポットとしてにぎわっていた。現在、同公園跡地は盛岡の夏の風物詩として知られる伝統行事「舟っこ流し」の会場となっている。城下町の面影を残す盛岡の落ち着いたまちの雰囲気からは、全国を騒がした連続婦女暴行事件が実際にあったとは想像することができない。
盛岡の夜を支配した婦女暴行団
この浮島公園事件を皮切りに、若者らによる婦女暴行事件が立て続けに発生し、その手口も次第に凶悪化させていった。まかり間違えば殺人事件に発展しかねないほどの凶暴性で、市民をりつ然とさせた。浮島公園事件から3日後の7月15日午後10時ごろ、K子さん(19)が市内大宮の神社での夏まつりから一人で帰宅途中、8人組の男に襲われ、近くの本宮第二変電所前で暴行を受けた。さらにそれから4日後の19日夜には、市内鉈屋町の市立病院付近で連れの青年と雑談していたY子さん(16)が拉致され、付近の北上川河原で若者10人から暴行された。
そして22日午後10時ごろ、N子さん(22)は青年Cさんと市内清水町の中津川杉土手を散歩していたところ、突然二人組の男に襲われたが、この時は逆に二人組がCさんに殴打され逃亡し、事なきを得た。それから1時間後の午後11時ごろ、こんどは市内下太田の太田橋付近の雫石川河原を歩いていたA子さん(23)と連れの青年Dさんが男5人に襲われる事件が起きた。犯人グループはDさんに殴るけるの暴行を加えたうえ川に投げ入れ、そのあとA子さんに襲いかかった。
その後も若い女性への暴行事件は続いた。8月12日午後10時ごろ、岩手公園本丸付近を男性と散歩していたS子さん(20)が暴行を受けたほか、21日夜には市内東仙北の北上川河川敷を青年Eさんと歩いていたR子さん(17)が男性8人のグループに襲われ、犯人たちはEさんをこん棒で殴って失神させ北上川にほうり込んむとともに、R子さんに暴行を加えた。また9月8日午後11時ごろには、市内仙北町の駒形神社のまつりから帰宅途中のA子さん(18)、H子さん(18)が7人組の男に襲われる事件が発生。その後も事件はいっこうに止まなかった。
犯人グループに法の裁き
世間を騒がせた犯行グループの大部分は未成年者で、盛岡市南部の仙北町や本宮などに住んでいる若者が多く、中には岩手大学生4人も含まれていた。狂った獣のように女性に牙をむく若者たち、主犯格の男は一人で8件もの事件にかかわるなど悪質だった。
全国的にも注目された前代未聞の集団暴行事件の判決は、26年1月31日、盛岡地裁で行われ、主犯格の男性に懲役8年のほか、15人に懲役6年から2年、未成年者13人には主犯格の19歳の男性に懲役5〜10年を最高に懲役2年〜4年、同5年〜6年の不定期刑が言い渡された。なお未成年の岩手大学生ら3人には執行猶予5年の温情判決が下された。戦後の混乱が続き治安が安定していなかった時代だったにせよ、若い女性が安心して外出できない夜の無法状態が4カ月も続いたこの事件のことを考えると、いまの日本はずいぶん安全になったものだと関心してしまう。
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