遷都400年の歴史と文化が息吹くまち
秋田県の県庁所在地・秋田市は、佐竹秋田藩の城下町として発展を遂げ、いまでも城下町としての落ち着いた風情と豊かな文化の香りが色濃く残る。その一方で近代的なまちづくりも大きく進み、県庁所在地としての都市機能の充実が図られてきた。
関ヶ原の合戦(1600年)後、秋田湊(現在の土崎)を拠点に秋田郡を治めていた戦国大名の秋田氏は常陸(茨城県)の宍戸に国替えとなり、代わって常陸から転封となった佐竹義宣が秋田入り。慶長8(1603年)年、久保田神明山(現在の千秋公園)に新城を築くとともに、佐竹秋田藩20万石の城下町にふさわしい町づくりに着手。その後、約270年にわたり秋田は藩の政治、経済、文化の中心を担いながら大きく発展し、明治維新後は県庁所在地として近代的なまちづくりが進められた。

千秋公園(旧久保田城)に復元された御隅櫓
軍隊の進出をきっかけに新しいまちづくり
明治22(1889)年、秋田県内では唯一、秋田町が市制を施行し、秋田市が誕生。発足当時の秋田市の人口は29,279人。
日清戦争が終わって間もない同29年、県、秋田市などによる誘致運動が功を奏して、仙台市に置かれていた陸軍歩兵第17連隊と第16旅団司令部の秋田市移転が決定。上中城町(現在の千秋久保田町)には司令部と衛戌病院、長野町、土手谷地町、中谷地町(現在の中通二、四、六丁目の北地区)には連隊の兵舎、手形東新町、手形西新町、手形本新町、手形休下町(現在の手形住吉町、手形休下町一帯)には練兵場が置かれることとなった。
市では土地の買収、用地の整備、建物移転費などを負担し、軍隊の受け入れに万全を期した。秋田市となって初めての新しいまちづくりである。第一陣として第17連隊第一大隊が秋田市に到着したのは明治31年のことだ。
上野・青森間の東北本線開通から遅れること14年、明治38年奥羽本線が開通し、歩兵第17連隊に近い手形郷長沼に秋田駅が開業した。鉄道の開通によって秋田の表玄関は土崎港から秋田駅へと移ったが、その土崎には41年、国鉄土崎工場が設置されるとともに、43年には日本石油秋田製油所が進出するなど、工業を主体として活気を取り戻していった。
初代の秋田市役所は、土手長町中丁の南秋田郡役所を活用したものだが、明治38年に放火による火災で焼失。それに代わる新庁舎は、千秋公園西側(現在の千秋矢留町)にあった秋田監獄跡地に建設され、同42年に完成した。その後、増改築などを繰り返し、現在の市庁舎が山王一丁目に完成する昭和39年まで市の中枢としての機能を果たした。
雄物川改修関連で茨島、新屋を埋め立て
県南部の穀倉地帯で生産される米を中心とした農産物を土崎湊に運ぶ重要なルートとして藩政時代から船運で栄えた雄物川だが、ひとたび大雨になると洪水を繰り返す暴れ川へと、ふだんの穏やかな表情を一変させた。特に河口に近い仁井田、四ツ小屋、牛島など秋田市南部の被害は甚大だった。
この雄物川の改修は、たびたび洪水に悩まされてきた流域住民の悲願であり、明治28年頃から計画されたが具体化されるまでには至らなかったが、大正6(1917)年、国と県の直営工事による改修がスタート。雄和町付近から蛇行しながら土崎港に至る流れを、新屋砂浜の開削によって放水路を建設し、そのまま日本海に注ぐ流れに変えようという一大工事だった。
この改修工事は、22年の歳月と約1200万円の巨費を投じて昭和14年に完成。これによって流域の住民は大雨や台風の際にも安心して寝れるようになった。
工事によって発生した大量の土砂は茨島や新屋の低地埋め立てに使われ、整備された土地には工場の誘致が進められ一大工業地帯へと発展を遂げていった。茨島地区には、昭和10年代、東北肥料秋田工場、東北機械製作所茨島工場、三徳秋田工場、戦後になると、21年の秋田林産、25年の三菱金属秋田製錬所など進出が相次いだ。一方の新屋地区には、同13年に東北パルプ秋田工場が進出を果たしている。
日本一の産油量・活況を呈した八橋油田
古くから秋田市八橋では、地元の住民が自然に湧き出た石油を屋外灯火などに利用し、明治2年には千蒲善五郎による石油採取が行われている。
同6年から7年には同市濁川と南秋田郡金足村黒川(のちに秋田市に編入)、同市外旭川などでも手掘りによる石油採取が始まった。秋田に進出した日本石油株式会社が、県内最初の油田として同41年には旭川油田、続く大正2年には黒川油田と開発を成功させている。特に黒川油田は年生産量15万6000キロリットルを達成し、日本有数の大油田として注目された。その最盛期は昭和の初めまで続き、県内の油田開発ブームの火付け役となった。
そして昭和10年代には八橋油田が全盛時代を迎える。日本鉱業、日本石油が相次いで大油田の開発に成功し、全国産油の70パーセント以上を占めるなど国内トップの産油地帯へと発展を遂げた。土崎と船川には製油所は置かれ、フル稼働で製油にあたった。
八橋油田を中心として石油王国・秋田の名が全国に広く知られるようになった。
しかしその一方で、戦時中は日本石油秋田製油所のある土崎が空襲に見舞われ、大きな被害を被った。終戦間近の昭和20年8月14日夜、B29から投下された爆弾は同製油所だけではなく、周辺の上酒田町、新城町、七軒町などにも落ちた。四時間ほど続いた爆撃で、同製油所が壊滅的な被害を受けたほか、一般住宅など104の建物が全焼し、民間人の死者は86人に達した。

土崎地区の鉄道の玄関口・JR土崎駅
大秋田市の誕生と山王官庁街地区整備
昭和28年施行の町村合併促進法に基づき、翌29年には太平、外旭川、飯島、下新城、上新城、浜田、豊岩、仁井田、四ツ小屋、上北手、下北手、下浜の12カ村、30年には金足村を合併し、大秋田市が誕生した。市の面積はそれまでの3.5倍近くに広がり、人口も約1.4倍の19万人となった。
秋田市は、29年に策定した市総合都市計画を指針として、市内に分散している官公庁を一地域に集中させる新しいまちづくりを計画。対象となったのが旧市街と八橋運動公園の間の広大な田園地帯で、面積は約14万3,200平方メートル。国、県、市の施設用地や、道路などの交通用地、公園などの緑地用地に線引きされ、大かがりなまちづくりが進められることになった。
こうして整備された山王地区に、34年に県庁舎、39年に市庁舎が完成。その後も裁判所や検察庁、国の施設などが相次いで完成したほか、NHK秋田放送局、民間のビル、ホテルなども進出し、秋田市を代表する官庁、ビジネス街となった。
県産業会館前から山王官庁街に通じる山王大通りは、県が43年から整備をはじめ、46年に山王十字路までの区間が完成した。

官庁街・ビジネス街の山王大通り
新産業都市指定で秋田港整備が進む
秋田市を中心とする秋田港地区が新産業都市の指定を受けたのは昭和40年のこと。これを受けて44年には国と県による秋田港地区大規模工業開発がスタート。秋田港から船川港までの26キロにわたる湾岸海面を埋め立て、港湾施設の建設と基幹工業用地を造成しようという計画だった。
その拠点である秋田港では、41年に本港中島岸壁に15,000トン岸壁、45年には北新港が完成した。その後も新たな岸壁や防波堤の整備などが進んだ。また東北電力秋田火力発電所の進出や、秋木工業、東北製紙、プライウッド、東洋合板など大型工場の立地も相次ぎ、一大工場地帯となった。
公園都市を目指し花と緑のまちづくり
秋田市は昭和48年、全国にさきがけて「公園都市秋田市をつくる条例」を制定。土地の乱開発を防ぎ、自然の守り、美しい緑の公園都市づくりを進めるのが目的で、市内の名木や古木12,000本余を保存樹木として保護するとともに、緑と花を添える100万本運動などを展開。
こうしたなか、48年には八木山動物園、61年には一つ盛り公園が完成。市制施行90周年の54年には、花100万本運動のシンボルとして市役所前に花時計がおる目見えした。市制施行90周年の記念事業では、市文化会館が建設され55年に開館している。
赤れんが館(旧秋田銀行本店)は修復され、60年に赤れんが郷土館としてオープン。旧明徳小学校跡地に市立中央図書館が完成したのは58年のことである。さらに60年には、御所野における職・住近接の新しいまちづくりがスタートした。
市として着実な発展を遂げるなか、60年、秋田市の人口は30万人を突破し、仙台市に次ぐ人口規模を誇る東北第二の県庁所在地となった。
平成元年には、市制施行100周年を迎え、盛大に記念式典が行われるとともに、記念事業として秋田総合生活文化会館(アトリオン)・市立美術館が開館したほか、千秋公園における御隅櫓の復元が図られ、新たな観光のシンボルとなった。
太平山周辺の豊かな自然を観光開発に生かそうとスタートした太平山リゾートパーク事業では、3年にクワドーム「ザ・ブーン」がオープン。また、かつて海の玄関口としてにぎわった秋田港を中心とした土崎地区の再生を目指すポートルネサンス21事業では、秋港のランドマークタワーとして6年にポートタワー・セリオンが誕生した。

ポートタワー・セリオンは秋田港
のランドマーク
中核市移行を実現
秋田新幹線秋田駅が開業した平成9年には、中核市への移行を実現した。
保健、福祉、環境など市民生活に密着した分野の事務の権限が県から市へ移譲され、きめ細かな対応による市民サービスの向上が図られるようになった。また都市計画や土地区画整理事業などのまちづくりに関する権限などの事務が県から市へ移譲されたことにより、これまで以上に地域特性を活かした 個性豊かなまちづくりを推進できるようになるなど、中核市の持つメリットは数多い。交流人口の拡大や企業立地の促進など地域経済の活性化が期待される。
現在、生活環境の整備や交通網の充実、福祉の向上、教育・文化の振興などさまざまな施策が展開され、市民の期待に応えている。秋田駅東口では新しいまちづくりが進められ、平成17年には東口駅前に拠点施設としてアルウ゛がオープン。市西部と駅東口を結ぶ秋田中央道路の建設も進んでいる。平成17年1月11日には、河辺町、雄和町を編入し、新・秋田市となった。
(秋田ふるさと物語に掲載した原稿を一部修正)

秋田駅東口と拠点センター・アルヴェ

