小坂鉱山の歴史に彩られた町
秋田県北東部に位置し、小坂鉱山とともに発展を遂げてきた町。藩政期には南部盛岡藩の支配下に置かれ、鉱山と豊富な森林資源が藩の財政を潤した。昭和30年、旧・小坂町と七滝村が合併し、今日の小坂町が誕生。隣接する青森県十和田湖町(今年1月1日、十和田市と対等合併し新・十和田市となった)との間では十和田湖の境界線画定をめぐる協議が、明治以来、130年以上続けられているが、今日に至るもまだ解決していない。国立公園十和田湖など豊かな自然と鉱山の歴史・文化を貴重な資源として観光面の充実に力を注ぎ、同鉱山閉山後の地域活性化を図っている。
小坂鉱山は、文久元(1861)年に発見され、南部藩の経営のもとで金や銀を採掘していた。明治維新によって官営鉱山となり、さらに明治17(1884)年には大阪の藤田組に経営が引き継がれ、国内有数の鉱山としての地位を確立した。しかし明治30年代に入ると土鉱と呼ばれる鉱石の枯渇により経営が低迷したが、黒鉱の自熔製錬という革命的な製錬法を生み出し息を吹き返し、その後は増産を続け、日露戦争後には鉱産額全国一を達成。さらに国内初の露天掘の成功も発展の大きな原動力となった。
日本一の鉱山として名を轟かせるなか、巨費を投じたルネッサンス風の鉱山事務所が明治39年に、従業員の慰安施設として康楽館が同43年にそれぞれ完成し、全盛期を迎えた同鉱山の力を全国に示した。
当時、小坂町には、水力発電所から送電で県内最初の電灯が灯り、上水道、電信電話、病院、学校などの施設も整っていたほか、小坂鉄道が東北初の私鉄として開業。明治末期には、町の人口が2万数千人を数え、秋田市に次ぐ県内第2の都市として活況を呈していた。
第2次大戦後、同鉱山は社名を同和鉱業として再出発を図り、昭和34年の内の岱鉱床、同60年の温川鉱床の発見により鉱山としての命脈を保ってきたが、次第に経営規模を縮小。ついに平成2年、閉山に追い込まれ、約130年続いた鉱山の歴史に幕を下ろした。現在は、小坂製錬所として海外からの輸入鉱石を中心に金属製錬を行っているのみである。
同鉱山とともに歩んできた小坂町は、同鉱山の全盛時代を物語る小坂鉱山事務所(国重要文化財)や日本最古の木造芝居小屋・康楽館(同)など貴重な産業近代化の歴史遺産を生かしながら、観光振興を柱としたまちづくりを推進。小坂鉱山事務所や康楽館のある通りを明治百年通りとして全国に売り出し、観光客の誘客を図りながら、鉱山で栄えた町としてのイメージアップに努めている。
明治百年通りに移築復元された小坂鉱山事務所。内部は資料館として一般に公開されている

日本最古の木造芝居小屋・康楽館。現役の芝居小屋として営業中


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