2005年08月27日

岩手の事件簿 種市一家5人惨殺事件


岩手・青森県境の港町が惨劇の舞台に



逃げまどう子供にも狂気の刃


 岩手県種市町は青森県境に近い太平洋沿岸の町。静かな盆入りの朝を迎えるはずのこの町で、血も凍るような惨劇が起きた。ぐっすり寝ていた妻と4人の子供たちに狂気の刃を降りおろす父親。逃げまどう幼い子供にも容赦なく襲いかかった。室内には血が飛び散り、5人の遺体がむごたらしく放置された。血染めの布団と異臭に、通報で駆けつけたベテラン捜査員ですら顔をそむけ、言葉を失った。
 事件が発覚したのは、凶行に及んだ父親からの電話だった。平成元年8月13日午前5時20分ごろ、九戸郡種市町第23地割39、無職・加●(門のなかに亀)山秀武=かくちやま・ひでたけ=(42)が自宅近くの公衆電話から「自宅で妻と子供を殺した」と110番した。久慈署員が現場に急行し5人の惨殺死体を発見、公衆電話ボックスにいた憔悴し切った加●山を逮捕した。
 惨劇の舞台となった加●山宅は、JR八戸線種市駅から約200メートル西側の住宅地の一角。殺されたのは、妻静子さん(37)、長女寿子さん(14)=町立種市中3年、長男武士(たけし)君(13)=同中1年、2男猛(たける)君(11)=町立種市小5年、3男真也ちゃん(6つ)=町立種市保属園=の妻子5人。静子さんと真也ちゃんは奥の8畳寝室の布団の上で頭を並べ、布団を半分かけられた状態で死んでいた。隣室の8畳間では、寿子さんら3人の子供が布団の上などで血まみれになって倒れ、静子さんのそばには血の付いた刃渡り約15センチの漁業用ナイフ(通称・マキリ)が布をかけられ落ちていた。


子育て上手の働き者の妻


 加●山は種市中を卒業後、土木作業員や漁船員をしていたが定職には就かなかった。加●山と静子さんは結婚後間もない昭和49年5月、凶行の現場となった家に移り住んだ。出稼ぎや漁船員として働く夫は留守がちで、子供の世話は静子さんが一手に担い、しかも不安定な夫の収入を内職などで補い家計を支えていた。洋服の内職をして注文を取り、婦人服やセーラー服を仕立てる働き者の奥さんとして近所でも評判だったという。平成元年7月半ば、イカ釣り漁から帰った後、加●山は体調を崩し自宅でぶらぶらしていたが、そのかたわらで静子さんは、内職の納期になんとか間にあわせようと、汗を流しながら懸命にミシンを踏み続けていた。
 生活は苦しかったが、子供たちはすくすくと育っていた。種市中3年の長女寿子さんは来春の高校進学を控え、夏休み前に母の静子さんと担任教師を交えた三者面談をしたばかり。「できれば八戸の普通高校に行きたい」と意欲を見せ、夏休み明けの実力テストを目標に頑張っていた。長男武士君はバスケットボール部の練習が大好きな活発な中学生。種市小5年の2男猛君は、理科が得意で草花が好きな気持ちの優しい子供で、友達からは昆虫博士と呼ばれていた。三男の真也ちゃんは今春種市保育園に入ったばかりで、9月の運動会を楽しみにしていた。


生活苦から口論、離婚話に逆上


 小さな借家に暮らす加●山一家6人は、子ぼんのうな父、働き者の母、それに健やかに育つ子供たちにも恵まれ、近所の人の目には円満な家庭に映っていたのだが・・・。
 だが内実は違った。生活苦から夫婦の間での口論が絶えず、離婚話も取り沙汰されていた。静子さんが真也ちゃんを連れて1カ月ほど八戸の実家に帰ったこともあった。静子さんが離婚を決意したのは、船員だった加●山が無断で船を降りたうえ、定職にもつかず、そんな生活態度を注意すると、暴力を振るわれることがしばしばあったからだ。
 虚勢を張っていても小心者の加●山にとって、静子さんが子供4人を連れて八戸市の実家に帰るのではないか、という不安が頭から離れなかった。
 犯行の前夜、加●山はいつものように自宅でウイスキーを飲み出した。妻の静子さんは、稼ぎもないのに酒ばかりのんでいる夫にいい顔はしない。静子さんが離婚の話を切り出すると、激しい口論となった。夫との口けんかに嫌気がさした静子さんは口論の途中で、寝室に引きあげてしまった。一人残された加●山は面白くない。それからもウイスキーを飲み続け、そのままふて寝した。9日未明、目を覚まして床に入ろうとしたら、自分のひじと隣の布団に寝ている静子さんのひじが当たるなど険悪な態度を取られたことに逆上、さらに日本酒7合(約1・26リットル)をラッパ飲みした。
 「自分一人だけが残されるなら、みんなを道連れにして死んでやる」
 酒をあおりブレーキの利かなくなった暴力的な感情は、坂を転げ落ちるように暴走を始めた。これまで自分を支えてきた妻のこと、可愛い子供たちの将来のことなどを冷静に考えられる冷静さはすでに失われていた。
 午前5時ごろ、鬼のような形相をした加●山の手にはマキリと呼ばれる鋭い漁業用ナイフが握られていた。
 静子さんと4人の子供とものどに切りつけ殺害。血ふ造きがふすま、天井まで飛び散った。瞬く間に布団は血の海に。静子さんはともかく、4人の子供は何も知らずにぐっすり寝ていたところを、非情にも襲われた。殺害された5人には抵抗した形跡はなかった。ただ2男猛君の首に切りつけた際、目を覚まし逃げ出そうとした長男武士君に背後から切りつけ再び頚部を刺した。必死で逃げ回った猛君の血が台所や居間の床などに付着していた。


死刑判決の加●山、上告中に病死


 加●山は犯行後、自宅にカギをかけ、遺体を放置したまま、近くの山林などをあてもなくさまよった。首をつるなど自殺しようとしたが死に切れなくて、4日後に自首した。
 殺人罪に問われた加●山被告の判決公判は、2年11月15日に盛岡地裁で行われた。守屋克彦裁判長は犯行当時の加●山被告の精神状態について「心神耗弱状態とはいえず、責任能力は問える」と弁護側の反論を退け「犯行は凶悪残忍なもので動機に同情の余地はない」と断罪する一方で、「犯行は被告が自殺を考えた上での無理心中であり、反社会性の強い強盗殺人などとは類型を異にする。自首しており、深く反省している」と情状理由を述べ、死刑の求刑に対し、無期懲役を言い渡した。
 しかし平成4年6月4日、仙台高裁で行われた控訴審判決では、渡辺達夫裁判長が「被告人に尽くして明るい家庭を築こうとしながら理不尽に殺された妻・静子さんの心情はあまりに不びん。瞬時に一命を奪われた子供たちの無念さは察するに余りある」などと断じて、一審判決を破棄し、求刑通り死刑を宣告した。
 加●山はただちに最高裁に上告したが、同年10月6日に体調を崩し、入院先の仙台市の国立仙台病院で同月16日午後、自分が手にかけて死なせた妻や4人の子の後を追うように静かに息を引きとった。死因はくも膜下出血。自分が犯した罪の深さを悔やまない日はなかった。妻子5人殺害から3年3カ月、加●山の心には、家族との楽しかった思い出、妻の顔、子どもたちの顔が、走馬燈のように一つまた一つと浮かんでは消えていった。

 
 
posted by thnews21 at 11:33| Comment(1) | TrackBack(1) | 【実録・岩手の事件簿】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Posted by ???????? at 2006年06月20日 04:08
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